吉本興業ホールディングス代表取締役会長の大崎洋(おおさき ひろし)さん。
(※正しい漢字は「﨑」)
80年代の漫才ブームやダウンタウンの若手時代を支えた名プロデューサーです。
今でも松本人志さんからは「兄貴」と慕われているほど、ダウンタウンとは深い関係があり、
かつてキングコングの西野さんも、
「吉本興業に(まだ)居るのは大崎さんが好きだから」
と公言していたほど、人望と信頼がアツい人物。
今回は、吉本興業の大崎会長の経歴や、プライベートのご家族情報、ダウンタウンとの“深イイ“エピソードをご紹介!
大崎洋会長の学歴経歴とプロフィール!
名前:大崎洋(おおさき ひろし)
生年月日:1953年7月28日
出身地:大阪府堺市
肩書:吉本興業ホールディングス代表取締役会長
高校:大阪府立泉北高校
大学:関西大学社会学部
大崎洋会長の学歴
大崎洋会長の学歴は、大阪府立泉北高校→関西大学社会学部卒。
ちなみに大阪府立泉北高校の偏差値が60-61、関西大学社会学部の偏差値が57-60ほどです。
関西大学といえば、近畿地方では難関私立大学として有名ですね。
大崎洋会長は
「学生時代は、勉強もスポーツもできない取り柄のない人間だった」
と自虐されていますが、
今では6000人の芸人を抱える吉本興業トップとして君臨しているのですから、
体力があって頭の回転も早く、人望も暑い方には間違いないですね。
大崎洋会長の経歴
1978年(昭53) | 吉本興業入社(大阪) |
1980年 | 吉本興業東京事務所に、上司の木村政雄と共に異動 |
1982年 | 吉本総合芸能学院の担当社員に異動 |
2000年(平12年) | よしもとファンダンゴ取締役 |
2001年 | 吉本興業取締役、よしもとR&C取締役 |
2002年 | 有明スタジオ取締役兼務 |
2006年 | 吉本興業取締役副社長 |
2009年 | 吉本興業代表取締役社長 |
2019年 | 吉本興業ホールディングス代表取締役会長 |
大崎洋さんは、1978年に関西大学社会学部卒業後、吉本興業に入社。
1980年、上司だった木村政雄さんと共に東京支社に異動後、
日本のエンタメ界で、漫才ブームを第一線で支えてました。
無名時代のダウンタウンの兄貴分・マネージャー的存在として業界のイロハを教え、
その後、大阪で人気の頂点に立ったダウンタウンを東京に進出させた立役者です。
ちなみに大崎洋さんと共に、1980年に東京進出した木村政雄さんは、横山やすし・西川きよしの元マネージャー。
1980~88年まで東京事務所(現在は東京本社)所長として、
のちに取締役、常務取締役を歴任し、2002年10月に退社、現在はフリーとして活躍されています。
大崎洋会長の若い頃はサーファーだった
関西大学社会学部卒という高学歴の大崎洋さんは、
そもそも、なぜ吉本興業を就職先に選んだのでしょう。
実は、大崎洋会長は若い頃はサーファーだったらしく、かなりのアウトドア派。
仕事へはビシッとスーツを着て働くような環境ではなく、
「私服で出社したかったから」
と言う、かなり不純な動機だけだったそう(笑)
若い頃は仕事に対して特にやる気もなく、テキトーに仕事をしていたという大崎洋さん。
そんなある日、会社の同僚との徹夜マージャンで、終始一人負け続け、
明け方近くまでずっと負け続けた大崎洋さんは、おもむろに立ちあがり、
カーテンと窓を開けて外に向かって大きな声で
「絶対に出世する!」
と怒鳴り声を上げたそうです。
そしてこの日を境に、仕事に対する姿勢は一変、最終的に会長まで上り詰めたのです。
誰しも「やる気スイッチ」があると言いますが、
いつ、どんなタイミングでスイッチが入るか分からないものですね。
大崎洋さんの場合は、徹夜で麻雀に負け続けた悔しさMaxの極限状態で、急にスイッチが入ったようですね!
今では、会長らしくどっしり構えた風貌で、いかにも敏腕経営者というオーラが漂っている気がします。
大崎洋会長の家族!嫁の存在や息子が高田健志って本当?
大崎洋会長は、プロフィールや経歴を拝見したかぎり、
バリバリに出世街道まっしぐらで、仕事一筋と言う印象ですが、
ご結婚はされているのでしょうか?
過去にも、インタビューに答えていたり、メディアにも多数出演している大崎洋会長ですが、
私生活に関する恋人や結婚、妻や子供の存在について情報は、見当たりませんでした。
ただ、一時期、
「大崎洋の息子は元俳優の高田健志」
という根拠の無い情報が出回り、Wikipediaにも記載歴があったようです。
現在この情報は、まるごと消去されています。
吉本興業の会長、大崎洋の息子が高田健志ってwikiを編集したやつ
あかんやろwhttps://t.co/qVtQ00zFVr pic.twitter.com/rs8B2J198v— はちびっとちゃんねる (@88x88bit) July 22, 2019
大崎洋さんは、仕事が多忙すぎて婚期を逃したのか、もともと結婚に興味がないのか、
それとも、徹底してプライベートな情報は非公開にされているのかもしれませんね!
大崎会長は「お父さん」のような存在
大崎会長の本当の息子がいるかどうかは、情報がないため分かりませんが、
吉本興業の社外取締役で、『吉本興業の約束』の著者でもあり、
「坪田塾」を主宰する坪田信貴さんは、インタビューで、
「僕はずっと母子家庭で、小学校1年のときから父親と接していなくて、お父さん像というのがなかったんです。だけど、大崎さんと会って、あ、お父さんがこの人だったらすごくよかったのに、と(出会ったとき)思った。」
僕の中では、「尊敬する人」であり、「お父さん」であり、「一番仲の良い親友」という存在です。
と語っています。
世間のメディアでは、強面の剛腕経営者というイメージもある大崎洋さんですが、
素顔は優しい「お父さん」なのかもしれません。
ちなみに、大崎会長に坪田信貴さんを紹介したのはキングコング西野さん。
「大崎さん、この人と会ったほうがええですよ!」
と勧められ、大崎会長はすぐに会い、意気投合したのだとか。
UUUMと吉本興業が資本業務提携できたのも、
坪田信貴さんがUUUM社長の鎌田和樹さんと友人関係だったことから実現したそうです。
大崎洋会長とダウンタウンの関係
2019年6月に発覚した例の闇営業騒動で、ダウンタウン松本さんが、
「大崎会長が辞めるなら僕も(吉本)辞める!!」
と発言して話題になったことからも、
ダウンタウンと大崎洋さんが、どれほど深い信頼関係と繋がりがあるのかが伺えます。
1980年代、まだ松本人志さんが20歳でダウンタウンとして無名のころ、
兄貴的存在として公私ともに汗を流し、東京進出から成功までをプロデュースしたのが大崎会長なので、
人並みならぬ恩義があるからです。
今や大スターのダウンタウンですが、当初まったく売れず、会社の誰からも相手にされなかったところを、
吉本総合芸能学院(NSC) 開校時の担当社員だった大崎洋さんが、
個人的にマネージャーを引き受けることに。
「真っ白なスケジュールを渡してもしょうがないので『○月×日△時から大崎とコント打ち合わせ』などと3人だけのスケジュールを書き込んで彼らに渡しました。それでも2人は『これは仕事と違いますやん。大崎さんと打ち合わせしているだけですやん』とは言わずに『ありがとうございます』と受け取って、時間どおりにやってきて、3人で一生懸命黙々とネタ作りに励んだ」
出典:ダウンタウン「仕事ない日も黙々ネタ作り」の下積み時代秘話│女性自身
大崎洋さんは、正式に会社からダウンタウンのマネージャーという職種を任命されたわけではなく、
社員と芸人という枠を超えた、“三人目のダウンタウン“と言っていいほどの密接な関係に。
大崎洋さんは、松本さんと浜田さんと3人でネタ作りをしたり、
とくに松本人志さんとは、映画館や銭湯など2人で出かけるなど、
本当の兄弟や同士のような存在だったということですね。
大崎洋さんとダウンタウンの二人は10ほど年齢が離れていますが、
当時の大崎洋会長も30代前半とずいぶん若かったので、
共に成功する喜び成長していく姿を間近で見続けていたからこそ、
ダウンタウンも大崎洋さんも、お互いに特別な想いがあるのでしょう。
例の闇営業問題で大崎洋会長の進退話になった時も、
「(大崎洋会長の退任は)僕は全力で止めます。兄貴なので。いなくなったら僕もやめます。」
と松本人志さんは涙を浮かべながら話したほどでした。
大崎洋さんとダウンタウンの現在の関係性は、
ただの会社会長と芸人というものではなく、
心から信頼している兄貴と、絶対守りたい弟分的な関係で結ばれているんだと感じました。
窮地に追い込まれた大崎洋会長を助けたい、
一緒に築き上げてきた吉本興業をもっと良くしていきたい!という思いが溢れているのを感じましたね。
大崎洋会長(吉本興業)の経歴プロフィール!息子や嫁の存在まとめ
・大崎洋会長はダウンタウンを無名時代から支えた人物
・素顔は優しい「お父さん」であり、頼れる「兄貴的存在」
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